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映画 『屍者の帝国』 の感想

屍者の帝国



『 求めたのは 21グラムの魂と 君の言葉 』


<感想>
人間は、死ぬと体重が21グラム減ることが確認されている。 失われたその重さこそ、人を人たらしめる「魂」の重さなのではないか――。 19世紀末、死者を肉体的に蘇生する技術が発達し、主たる労働力の担い手として「屍者」を活用することが広まっていたロンドンで、医学生・ワトソンは親友であるフライデーの死体を違法に屍者として蘇生させた。 だが当然のごとく、フライデーは意思を表す「言葉」をもっていなかった。 魂の蘇生へ強い意志をみせるワトソンを見込んだ諜報機関ヴォルシンガムは、彼に屍者技術を生み出したヴィクター・フランケンシュタイン博士の手記の捜索を命じる。 肉体だけではなく、生者同様の意思と言葉を持つといわれる第一の屍者「ザ・ワン」を生み出した技術こそ、魂の証明につながるのではないか。 ――すべてはフライデーが唱えていた「21グラムの魂」を証明するため。 そして、フライデーと再会するため・・・。 ワトソンは手記を求めて、世界をめぐる危険な旅に出る。 そこで彼が得るものは、果たして・・・?


というわけで、劇場版オリジナルアニメーション作品 『屍者の帝国』 を観てきました。 10月2日(金)の公開初日だったからか、レイトショー時間でも田舎にしてはけっこうな集客。 私は「どうしても初日に観たい!」と意気込んで行ったわけではなく、先に公開されていた『心が叫びたがってるんだ。』の上映館行きのバスを仕事で逃してしまったのでこちらになった・・・という消去法だったんですが、こちらも観たかったことに変わりはなかったので、結果として初日に観れたのは嬉しかったです。 ちなみに私は原作は未読。 この作品が夭逝した作家・伊藤計劃の作品の劇場アニメ化プロジェクト(Project Itoh)第1弾であることしか知りませんでした。 でもって映画を見終えた後に、そのプロジェクトの第2弾の制作会社が倒産してまさかの企画延期の危機にあることを知ったので・・・・・まぁいろんな意味で初日に観れたのはタイムリーだったかも。





感想。 映像が、とにかく圧倒的でした。 キャラクターも美術もデザインも光の使い方もすべてが美しくて、視覚的に圧倒された感じ。 そもそもキャラデザが好みで、PVで見たハダリー嬢の美しさ目当てで観に行ったと言っても過言ではないのですが(笑)、実際に動くワトソンたちを見たときにまず、瞳の輝きかたが好きだなーって思いました。 心に秘めた信念を表すような一条の光が、まっすぐこちらに届いてくる感じでとても良かった。 一方、屍者にはその輝きがない。 目は口ほどにものをいうと言いますが、この作品のテーマの一つに「言葉」というものがあるわけで、目は実際に言葉を生み出すことはなくても、言葉を生み出す感情を表すことは可能なんだと伝えてくるようでした。 なので、ワトソンがフライデーに魂が戻った一瞬を見間違えなかったことがすごく説得力あって良かったと思うのです。

背景美術も素晴らしくて、ロンドン、アフガニスタン、日本、アメリカ・・・と旅する中で、映し出される自然美や建築美が本当に眼福。 「ここを越えるのか・・・」と呆然とつぶやくワトソンには全面的に賛成でした。 ただの医学生にどれだけの冒険力を要求するんですか!?(笑) そんな寒さ厳しい山岳地帯の背景を見ていたので、舞台が日本になった途端、富士山が後ろにドーンとそびえる、どこかのっぺりとした背景に切り替わったので、思わず笑ってしまいました。 うん、こういう描写好きです。 


それから、メインである屍者の動きがみごとなまでに「生きていない」。 冒頭でワトソンがフライデーを屍者化する場面が描かれるのですが、蘇生したフライデーの動きは生あるものとはまったく思えない。 動きによる説得力がすごくて、こういう生き物が世界を支えているのか・・・と思うと結構な恐怖でした。 個人的には、むしろその状況を普通に受け入れている生者の方が恐ろしいのではないか、とさえ感じたくらいです。 実際、死人なのだから・・・と国家レベルで生物兵器に仕立て上げているわけで、こんな世界はさぞ生きづらいことでしょう。 生きることと、生かされることは、全然違う。 屍者技術という奇跡が、そんな当たり前のことさえ人間の思考から奪っていったのか・・・と思うと、人間のエゴの恐ろしさについて考えさせられました。

あと、ちょっと設定上の名前を忘れちゃったんですけど、最終決戦の舞台となった場面のデザインも本当に良くて・・・何ていうか、禍々しさと美しさが同居していて、見惚れました。 ザ・ワンと対峙したときに生じた結晶みたいな輝きとかもすごく良かったし、ハダリーの潜水艦とか、そもそも屍者をつくりだすシステムのデザインとか、本当にいちいち視覚に訴えてくる。 圧倒的にビジュアルが好くて、そういう意味ではホント大満足でした。 


あ、音楽も良かったうえにキャスト陣の演技も素晴らしかったので、聴覚的にも不満は全くなかったです!! 花澤さん演じるハダリーが外見的にも内面的にも戦闘能力的にも(笑)、すべてにおいて魅力的で・・・「好きだった」で済ませたワトソンに内心で「そこもっと攻めないと!」とダメ出ししてましたからね(笑)。 まぁ本編の内容的にそんな場合じゃなかったのは分かってます。 分かっててもそっちに思考が向いてしまうのがラブコメ脳なのです(←開き直った・笑)。 美女は世界の宝だしっ!(真顔) そして、フライデーを演じる村瀬くんの演技の凄まじさよ・・・!! これ、私のつたない語彙ではちゃんと表現できないのですが、「生きていない」人間で「生きている」演技、「生きようとする」演技の狂気さって、凄まじい以外の何で表せばいいの? 前々から村瀬くんの感性はすごいと思ってたけど、ここにきて屈服する勢いで圧倒されました。 正直、この演技を聴くためだけに観てもいいと思います。 ワトソンの細谷さんは相変わらず前だけを見て進む青年の役がぴったりハマります。 眼福ならぬ耳福な時間をありがとう!


――と、こんなにも素晴らしい点が随所にあったのに、何となくモヤーっとしてしまうのは、なぜなんだろう・・・。 楽しくないわけじゃなかった。 面白くないわけじゃなかった。 テーマは大好きです。 なのに・・・・・・物語として見たときに手に汗握るほど、ドキドキして鼓動が早まるほど、入り込んで観ることが出来たかといえば、否、なのです。 何でかなぁ?って考えて一応得た結論としては、私結局、ワトソンのことをちゃんと分かってあげられなかったんだっていうことです。

この物語を支配しているのは、ワトソンの屍者技術に賭ける想いと魂の証明への情熱です。 それを利用しようとする者もいれば、共感する者も否定する者もいる。 いる、だけです。 ハダリーでさえ自分自身のために行動していることを考えるとワトソンはひたすら孤独で、その孤独の発端は親友であるフライデーを失ったことにある。 そして何より、ワトソン自身がフライデー以外の人を本当の意味では望んでいなかったわけです。 だからハダリーのことも一言伝えただけで手放してしまう。 ワトソンにとっては、すべての行動はフライデーの不在を埋めるためのものであり、すべての現象はフライデーに集約されるもの。 それほどまで強く思われているのに、フライデーという人間が描かれるシーンが、圧倒的に少ないんですよね。


これが意図的な演出なのは明白で、ワトソンのなかでフライデーがあそこまで神格化されていることを考えると、象徴的に描かれることは間違いではないと私も思うのです。 彼が発する一つ一つの言葉、幼めの容姿に反する言動や不敵な笑み、それらはとても魅力的でした。 でも、それにしても少なすぎる。 短い人生の中で魂について考え、体現しようとしたフライデーの想い。 それを引き継ぎ、盲目的に探究したワトソンの想い。 ・・・そういったものをもう少しこちらに提示して欲しかったなと思うのです。 ここが足りないことで、せっかくのワトソンの情熱がどこか空回りしているように見えてしまう。 私はもっと、彼らのことを知りたかった。 そのうえで、彼らの気持ちに寄り添って物語を見届けたかった。 たぶん、このモヤモヤはそういうことなのだと思います。 


とはいえ、ワトソンが自ら屍者化するエンディングには納得でした。 単純に現状に絶望したのなら、純粋な死を選べばいい。 そうでない理由としては、あんな現象を引き起こしてしまったワトソンにしてみると、これ以上他者を巻き込むことを恐れた結果なのではないか、と考えているけどどうなのかな。 フライデーの魂にこれ以上の苦痛を与えることも選べない。 それなら、己自身で魂の実験をしようとするのは合理的だし、ワトソンの信念としての一貫性もある。 世界中を旅したワトソンだけど、今度こそ、本当の意味で違う世界へ旅立ってしまうのか・・・。 そう思った時に不思議と悲しみはなく、そこに至るのが自然な気がしました。 愚直なまでにフライデーとの約束を果たそうとするワトソンに、だいぶ愛しさを覚えたものです。 


でもですね(まだあるのか!・笑)。 エンドロールの後が・・・・・・後がですね・・・・・・あれ、何!? 個人的にはあそこでだいぶ減点です。 さっきワトソンに抱いた愛しさがはかなく消えていくレベルで減点でした。 前述したモヤモヤさも、作品の雰囲気としてはよく分かる部分だったので味わいとして受け止められましたが、ラストはダメでした。 フライデーに魂が戻っているらしいこと、ハダリーの表情がそれまでより豊かなものになっていること、ワトソンが自由に動き回っていること。 すべては生前のワトソンが望んだことのはずで、私はこれを見たかったはずなのに、なぜホームズパロディで締めくくろうとしたのかがどうしても理解できないままです。 いやハダリーの名もカラマーゾフの名もオマージュなんですけどね・・・。 何ていうか、(変な意味ではなく)フライデーのことを考えていないワトソンを見たくなかっただけなのかもしれません。 エンドロール後をもう少しちがうトーンで描いてくれたら、私のなかで大切な作品になりそうだったのになー。 とても好きな雰囲気だっただけに、残念でした。 でも何度も言いますが、良いところの方が圧倒的に多い作品です。 観た人の心に響く何かはぜったいにある。 それは、ワトソンの情熱が届けてくれたものだと、信じています。





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